背中に逃げる汗を、祐太はハンカチで追わなかった。
天気予報は夕方からの雨を警告していたが、祐太は傘を置いて家を出た。
学校へ向かうバスのごわごわした座席に細い身体を預け、世界史の教科書に黄色のマーカーを引きながら、祐太は半分になってしまった世界のことを考えていた。
地球の半分が何の前触れも無く消滅してから2ヶ月が過ぎた。それはさっき見上げた満月が瞬きをした隙に半月になるような唐突さだった。人工衛星から送られた、切断面を不思議な金属で覆われた半球は、現実に良く似せたフィルムのようにかえって祐太に非現実感を与えていた。失われた半分には南北アメリカ大陸の全てとヨーロッパ・アフリカ大陸の殆どが含まれており、中東の主要メディアはこぞって共産圏による陰謀説を展開し、ロシアの報道官が「できるならとっくにやってる、冷戦の頃に」と報復コメントを発表し、その辺りで祐太はテレビや新聞を見なくなった。
「隣、いいかな」
鈴が鳴るような声に、祐太は教科書から目を上げず頷いた。
転校生の女子、名前は…何だったか。思い出せない。以前から他人には無関心なタイプだったが、その僅かな社交性すらも、今は世界と一緒に半減していた。
「世界、半分になっちゃったね」
顎を引いて浅く相槌を打つ。そのまま教科書の黙読に戻る。世界人類の関心事ではあるが、確かなことが何も無い。だから天気や株価と同じ、会話の枕にしかならない。それよりも名前。存在感は人一倍有るくせに、印象を残さないのはどういうわけだ。
バスは気難しいイノシシのように車体を震わせて、2人だけの乗客を運んでゆく。その窓を予報よりも半日早い雨が叩き始めた。それみたことか、と祐太は思う。気流も海流も変わったんだ、予報のしようが無いじゃないか。根拠の無い強気に背を押され、名前を聞こうと口を開きかけた瞬間、機先を制された。
「神様にね、妹が産まれたの」
祐太は彼女を見た。黒くて長い髪が横顔を隠してはいたが、ちらりと見えた口元はまだ溜息の形をしていた。名前。思い出せない。顔も。いや、そもそも彼女はいつ転校してきた?転校生に付きものの自己紹介シーンが、全く記憶に無いのはどういうわけだ?
「可愛い妹に、神様は箱庭を半分あげたのよ。でも妹は迷惑しているの」
彼女がゆるゆると頭を振り、それに合わせて片耳だけのピアスがゆらゆらと揺れた。
半球型の、緑と青のピアスだった。