事情にお詳しくない方のため一言書き添えておきますと、
二〇〇〇年の六月は花曇りのような薄明るい梅雨空が続いて
そのために選手達はみな煮え切らぬ思いで過ごしておったのでしょうか
ある日突然、全日本プロレスから離脱して行ってしまったのでした。
全日マットにはもう、戦える選手が二名しか残っておりませんでした。
興行が組めなければ、レスラーはご飯が頂いてゆかれません。
彼らはどのようにして、米味噌醤油の伝手を得ていたのでしょうか。
わたくしが二人をお見かけしたのは、丁度そんな頃の話でありました。
渕、川田の両人は福島駅前のスロ屋で本日の札台を擦っておりました。
およそ世の中に何が悲しいと言って、レスラーが窮屈に巨体を縮こめて
ちまちま回胴なんぞに入れ込む姿ほど傍目に悲しいものもございません。
余りに話が出来過ぎていると誰も取りあってはくれぬのですが。
さながら、負けブックの試合を観ているようなものでした。
ガラガラのシマで肩を寄せ合うように二人、並んで座りながら
言葉も交わさず、目も向き合わさず、ただ苦行のような顔で
黙々と千円札を両替機目掛け流し込んでおったのでした。
それを邪魔してはいけないと、何故だかそんな気が致しました。
リングの外にも無言のルールがあるものだと、訳もなく思ったのです。
わたくしのような素人には定めも付かぬ理由で、彼らはきっと
目に見えぬ戦いを戦っている最中なのでしたろう。
時折、筐体左端のランプがぺかっと光ったようにまたたいて、
その度にわたくしは首を伸ばして盤面を覗き込むのですが、
そのたびに見間違いと気付いて恥ずかしく顔を引っ込めるのでした。
なにかの加減で照明が照り返したくらいの事だったのでしょう。
わたくしは結局、最後まで二人へ声を掛けませんでした。
息を詰めるような心持ちがして、耐えきれずに店を出ると
上空は神様が絵筆の手を止めてしまったような中途半端な空模様で
やはり花曇りのような明るい光りが、むわむわと拡がり続けておりました。
その後、両人がどうされたのか、寡聞にして存じ上げません。
大当たりの告知ランプが突然ぺかっと光るように、
いつかお二人の人生にも光が差してくることがあれば善いと
お祈りしているうち、かれこれ八年。お元気ですか。