あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無上の喜びだった。
本や映画で得た受け売りの理論で身近な大人たちを追い詰め、
彼らを軽蔑することだけが生きているリアリティと感じていた。
目で見える世界のほとんどが許せず、
二十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。
――あの頃、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。
正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと
周囲に思われるのが癪だったのでなんとなくつき合っていた。
二人で観る映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、
Fは僕に映画の解説を求め、
僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた。
どうせ刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日を
ドラマチックにシミュレートして悦に入っていた。
そんなある日、Fが僕を演劇に誘った。
芝居はテレビで紀伊國屋ホールを収録したようなやつを
観たことがある程度で、
それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。
が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった。
舞台音楽が僕を子供の頃の暗闇の恐怖へといざなった。
その後、Fは地方に就職先を決め、
卒業の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った。
そして間違いなく、あの頃、彼女は僕の母だったのだ。
今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、
あの頃の無知な自分と母との時間を追体験したかったからかもしれない。