私が感じる「神様が体調不良の時に創った人間」の特徴は以下の通りです。
・仕事=タスクとして捉えている
・タスクのため、予想を裏切るアウトプットがない(予想を裏切ろうと思っていない)
・「誰かがやらなければならない」と謎の使命感を抱いている(結果、繰り返し同じことばかりやっている)
・自分に自信がないため、外への交流が少ない(内向的)
・労働集約型(≒単純作業)のタスクが多いため、工数過多
ざっとこんな感じでしょうか。
それぞれを簡単に説明してみようと思います。
・仕事=タスクとして捉えている
ここでのタスクとは作業のことを意味しています。仕事とは本来新しい価値を生み出すことだと自覚しているのですが、作業とは「時間をかければ誰でも再生産できること」だと思っています。
神様が体調不良の時に創った人に限って「新しい価値を生み出すのは自分の仕事ではない」「新しい価値や仕事の目的は上から降ってくるものだ」と考えているように思います。
・タスクのため、予想を裏切るアウトプットがない
(予想を裏切ろうと思っていない)
タスクは言わば過去の再生産なので生産性が低い代物だと認識しているため、当たり前ですが予想を裏切ることはありません。さらにタスクとして捉えている人は予想を裏切るような行為もしません(というかできません)。
なぜ予想を裏切れないのか?それは普段から見えているものしか信じられないからです。まだ見ぬものは怖くて信じられない。だから見えているもの(≒ある程度予測できるもの)にしかリソースが割けないんだと思います。
・「誰かがやらなければならない」と謎の使命感を抱いている
(結果、繰り返し同じことばかりやっている)
続いてはタスク(誰もがやりたがらないこと)に使命感を感じてしまう理由についてですが、これは市場を正確に把握できていないからだと思っています。市場とは世の中・社会・クライアント・目の前の相手などを総じて市場とみなしています。
神様が体調不良の時に創った人は「市場が求めていること(期待していること)」ではなく、「自分ができること」を優先してしまうのです。成長とは失敗を覚悟しても市場が求めてる先に進むことだと思います。だけどそれができない。結局、神様が体調不良の時に創った人は自分が1番大切なので仕方ないのですが。
・自分に自信がないため、外への交流が少ない(内向的)
神様が体調不良の時に創った人は自分があまり社会の役に立てていないことを少なからず自覚しています。それ故、外の世界に出ると恥ずかしめを受けることも自覚しています。だから外への交流が少なくなります。社内でもある一定のコミュニティから出ず、社外などもってのほかです。しかしそれが成長を遅らせている原因になっているのにな、、、とも感じます。
・労働集約型(≒単純作業)のタスクが多いため、工数過多
↑で、タスクを「時間をかければ誰でも再生産できること」と定義しましたが、時間をかける=工数が過多になっています。残業も多い。やった気になれる。1日中無駄な仕事をして、夜23時くらいに謎のハイになって仕事している感を感じ、身内だけで仲良くなる。なぜ時間がかかったのか?どうすればもっと早くできるのか?よりも、時間をかけてアウトプットを出せたことについて悦に浸ってしまう。これが実態だと思っています。
だから神様が体調不良の時に創った人はいつまで経っても作業効率が上がらない。作業効率が上がってしまったら自分にできることがなくなってしまうので。
話は少し変わりますが、DXやデジタル化が進まない根本的な原因は神様が体調不良の時に創った社員がボトルネックになっているケースがとても多いと感じています。
とまぁかなり闇深い回答となってしまいました・・・。
いうことで神様が体調不良の時に創った人たちと一緒にいても魂を吸い取られてしまうため、私はその世界線で生きることをやめました。環境を変えて、神様が健康な時に創った人たちと一緒に、成果を上げることをミッションにこれから生きていこうと思っています。