入学式の日、僕らは1人2本ずつ木を植えた。
片方の木には「ありがとう」「大好き」「愛してる」などの優しい言葉をかけ、もう片方の木には「死ね」「嫌い」「消えろ」などの汚い言葉をかけるよう先生に言われた。
1ヶ月が経った頃には木の成長の速度の差は誰が見ても明らかだった。優しい言葉をかけた木は太く力強く育ち、汚い言葉をかけた方は細く弱々しく色も紫よりの黒に変化していた。
「こっちの木はもうダメになるんじゃないの?」
「なんか汚らしいし、抜いちゃいたいよね」
そんなことを言う人もいたし、唾を吐きつける人までいた。
それでも僕らは2本の木を育て続けた。卒業するにはこの木を最後まで育てなければいけないからだ。
いつからだろう。僕らは汚い言葉をかけている木を「汚木」(おき)と呼ぶようになっていた。
二度目の夏を迎える頃だった。大型の台風が上陸した。日本列島をまるごと覆えるほどの大きな台風だった。各地で洪水や土砂崩れ、過去最大の被害が出た。
汚木は大丈夫だろうか。僕は汚木の心配をしていた。細く細く痩せていた汚木がこんな台風に耐えられるわけがない。気がついたら大雨の中、僕は学校へ走っていた。校門を飛び越え、校舎を周り裏庭へ向かった。目に飛び込んできたのは汚木の無残な姿だった。
横には優しい言葉をかけていた木が凛々しく立っていた。僕は言葉の恐ろしさを痛感した。人の言葉はどんな可能性も秘めている。どんな言葉でもそうだ。ネットの匿名であろうと関係ない。良い方にも悪い方にも。これが木ではなく、人間だとしたら。
どれだけ時間が経っただろう。自然と跪いて下を向いていた。ん?折れた汚木の根元に違和感を感じた。まさかと思い、引っこ抜こうとしたがまったく抜けない。急いで木の根元を掘った。雨に柔らかくなった土を掘るのは容易だった。なんだこれ。掘れば掘るほど木が太く埋まっている。1メートルちかくを掘ったころには横に凛々しく立つ木よりも太い木になっていた。
汚木は僕らの言葉から逃げるように土の中で立派に育っていた。舐めていたんだ。自然の生命力とその強さを。地中に根強く伸びる汚木からは生きることへの執念を感じた。人間の言葉の力は凄い。それでも自然は人間よりも長い間、地球に存在して生き続けてきた。いや、闘い続けてきたんだ。
一見すると弱々しく育って汚木。それでも土の中では太く逞しく育っている。それをみんなが知るのは卒業式を3ヶ月後に控えた雪の降る日だった。
入学式に植えた2本の木でカラビナを作るように先生に言われた。カラビナは命綱に結びつけるようなやつだ。本来なら鉄で出来ているし、大工で命綱をカラビナにつけて作業することは、ほぼない。まして、木で出来たカラビナに命を預けることなど出来ないし、したくもない。なんでそんなものを作るんだろう。きっとみんな思っていた。
「優しい言葉をかけた木で作ったカラビナは本当に大切な人に。汚い言葉をかけた木で作ったカラビナは嫌いな人に渡してください」
先生はそう言った。
1ヶ月以上をかけてカラビナを作った。作っている途中で汚木の硬さに驚愕した。思い切りトンカチで叩いても割れなかった。汚木で作ったカラビナだと200kgちかくの重さまで耐えられることが分かった。もう一方の木は簡単に割れるのに。先生のあの言葉と意図がまったく分からなくなっていた。もし、汚木のカラビナを嫌いな人に渡したとして命綱に結んで何かあってもきっと助かる。でも大切な人が使ったら、どうなるだろうか。
卒業式が終わった後、みんな大切な人と嫌いな人にカラビナを渡した。僕は親友とクラスメイトから1つずつもらった。
親友の方は汚木じゃないだろう。いや2人とも汚木じゃないこともあるか。じゃあ、どっちも簡単に壊れちゃうのか。そう思っていた。けど、それは違った。何年使ってもどちらのカラビナも壊れることはなかった。
大工は孤独な職業である。ひたすら木と向き合い、作り続ける。家族であろうと所詮は他人。人の言葉に惑わされてはいけない。強く強く生きるんだ。そうか、やっと気がついた。大工って汚木なんだ。