今もどこかの町で眠れない女の子がいて、月に語りかけていて、月は口数が少なくて、女の子が喋る量が10だとしたら月は0.3くらいで、それも相槌を打つ程度で、「ああ」とか「そうだな」とか「ふふ」とかその程度で、でも女の子にとってはそれくらいの方がいいのかもしれない、だってそうでしょう?女の子はそういうものだから。
今もどこかの町で歯を食いしばって泣くのを我慢してる男の子がいて、ポケットの中に忍ばせた折りたたみ式のナイフを握って堪えていて、優しくて大きな犬が頬を舐める、そんなことになっているかもしれない、犬には男の子の怒りと悲しみの理由がわからないけど、男の子が一線を超えないようにペロペロと頬を舐めることができる、男の子もその優しさを感じとってこの世界に自分は一人じゃないってことを知るんだろう、僕も子供ができたら大きな犬を飼った方がいいかもしれない。
今もどこかの町で浮浪者が若者を捕まえて昔の話をして、お酒を奢ってもらって、歯の少なくなった口の中いっぱいで咀嚼して、不味くて安いだけの酒を精一杯味わってハハハと高笑いしているに違いない、それは未来の僕の姿かもしれないけど、そういう未来も悪くないかもしれないね。
僕の家の天井裏に勘の鋭いネズミがいてこの妄想をキモイキモイとチューチュー鳴いているかもしれない。でもその鳴き声は聞こえないので僕の耳が腐っているか、勘の鋭いネズミはいないかのどちらかでしょう。勘の鋭いネズミがいないのは寂しいので僕の耳は腐っていると思いたいのだが、さっきから選挙カーがうるさいのでもしかしたら勘の鋭いネズミはいないのかもしれない。