「よし、押し入れ終わり~。そっちはどう?」
春の陽光に照らされたフローリングに、彼の影がひょっこり覗く。
気づけばもうお昼を回っている。額がすこし汗ばんでいる自分に気づいた。
「うん、あとは小皿だけ包んで詰めれば完了、かな」
「そっか、お疲れ。セブン行ってくるわ。ツナマヨ?」
「うん、あと十六茶」
「わかった」
私の二の腕に指先で触れると、彼はスルリと玄関を抜けていく。カンカンと階段を鳴らす足音が遠ざかっていく。
凝り固まった首と肩を回しながら、私は改めてキッチンに視線を巡らせる。
左口だけ煤けたコンロ、全力で締めないと止まらない蛇口、冷蔵庫の脚の跡…
こんな安い造りのアパートでも、私たちにとっては城であり、ここは私にとっての天守閣だった。
新しい生活への期待と同時に、一抹の寂しさもこみ上げてくるのは、贅沢というものなのだろうか。
ため息ひとつ残して、残りのパッキングに取り掛かる。
そう言えばまだ流しの下の棚を空けてなかった。少しペースを上げなければ。
観音開きの扉を開けて中を見渡す。わずかに残った醤油は捨てようか、ちょっともったいないけど。
砂糖と塩と、いつ使ったのかも覚えていない唐揚げ粉、それに…これは何だろう?
暗い奥に手を伸ばし取り出したそれは、紫か茶色かの色褪せた布に包まれていた。
ほつれた結び目をほどくと、薄い木箱が出てきた。中身は空だ。餅のようなものが底にこびりついて固くなっている。
そしてその箱の下にも何か…白い細い布だ。かすれた文字で…『日本一』?
「どうした?」
はっとして振り向いたら彼が立っていた。いつの間に戻ってきていたのだろう。
私の手の中の包みを見た彼の目が、一瞬泳いだ気がした。
「ああ、なんか古いもの残ってた?ごめんごめん。捨てるわ」
「いいの?」
「もちろん。何で?」
「…ううん」
投げるようにコンビニ袋を置くと、彼は縛った黒ビニールの口をほどき、包みもろとも放り込む。
「よし、と。じゃあお昼ね。ていうか全然あれから進んでないじゃん。食べ終わったら手伝うし」
「ごめん、でも大丈夫だから。他の部屋のチェックとか」
「そんなこと言って、終わらないのが一番困るんだけどな~」
「そんなことないってば」
「はいはい」
冷たいペットボトルを首筋に当てるフリをして、彼は私をちゃぶ台のなくなった畳の部屋へ追い立てる。
私はいつしか、そんな包みがあったことさえすっかり忘れていた。