私は生まれも育ちも、東京の下町で、25年前にお母さんのオマンコから、握り拳を空に突きあげ飛び立ったスーパーマンのような格好をしながら、自力で産まれてきて以来、ずっとこの家に住んでいる。
家は雑貨やちょっとした調度品などを取り扱う商店をやっていて、それは、こじんまりとしたカビくせえ店(まるで部屋全体がだだっ広い押入れみたいな臭いだ。頻繁に床の下からウジが湧いてくるので、思いつきで苛性ソーダを30L撒いたことがあるが店中の商品が焼けたり溶けて変形したりしただけでムダに終わった。)なのだが、その創業はなんと江戸時代にまで遡るなかなかの老舗(早く潰れろ、彼氏が嫌がる。)らしい。というのは、お婆ちゃん(これは店の床板の裏に巣食う、しわくちゃな耄碌婆のことで顔中が無数のゴキブリの死骸と陰茎とおどろおどろしい末期の黄疸に冒されていて、起床したての血圧の低い時間帯なんかは不意に顔を向けられるとびっくりして吐き気を催すほどの歪な顔を乗せたアンデッドだ。)に聞いた話によると、私の曾祖父(アンデッドの婆の義理の父だ。)が江戸時代の末期に三河から江戸へやってきて、私たち一家の住むこの地に両替商を開いたらしい。それで、そこそこ成功してしまったのが、この店の長い黒歴史の始まり(何故こいつがこんな言い方をするのか全くもって意味不明だが、私は心底同意である。)なのだとか。150年余りも破産することなく、こうして同じ場所で商いを続けられているのは幸運と言わざるをえない(神の寵愛を受けていると言っても過言ではあるまい。なんたって曾祖父は江戸時代の日本にあって唯一のキリスト教徒だったのだから。彼は、幼年、幕府の弾圧によって重罪人として首を斬り飛ばされたが、幸運にもそれが300km先の三河の国の柔らかい砂浜に落ちたので助かった。)
当時の両替商と言えばやはり、金や銀などの貴金属類を相場で両替したり、遠隔地との取引の為替決済を行うことが主な仕事で(これは私の母親から聞いた話だったのだが、この母親というのはアンデッドの婆と巨大なオオエンマハンミョウのあいの子で、後ろ脚の脚力と顎の噛む力が尋常ではないくらい発達している甲虫目ハンミョウ科の♀だ。両眼の窪みに128ミリ主砲を備えている。)やはり、最初はどうしてもメッキや真鍮などの贋物(今で言う偽札なのだが、実は私の兄とハンミョウも北朝鮮製の印刷機を自分たちで輸入して5000枚ほど刷ったことがある。)(この兄は今朝、19世紀のロシアの文豪ドストエフスキーによる名著『カラマーゾフの兄弟』の下巻をトーストか何かと間違え喉に詰まれせて死んだ。謀ったのはハンミョウだ。止めはしなかった。)を掴まされることも多々あった。これでは商売あがったり、ということで曾祖父は自分の目利きを養うために骨董屋も同時に開業し、それが時代の流れとともに形態を変化させながら落ち着いたのが、今のこの私の商店だ。だからその名残から、この店では巷でちょっとお目にかかれないような変わった品々まで取り揃えている(ほとんどは私の撒いた苛性ソーダの餌食となったのだが。)。
すっかり殺風景となってしまった、この店の棚に、幸いにもそのうちの1つが残っている。これは強力なアルカリ性の薬品の雨に火傷1つ負わず生き残った代物で、何を隠そうこの私の父でもある(ハンミョウと交わりこの私を孕ませた脳のようなルックスの男娼経験豊富な男だ。真ん中を開いてもメロンパンは出てこない。)。このなかなかレアな商品には、少し秘密があって、卸売から仕入れたわけでも、自然界から直接採取してきたものでもなく流通経路自体が存在しない。46億年に地球が誕生する前から既にここに存在していたのだ(その証拠に、ネアンデルタール人やイスラエルの失われた10支族など歴史の謎に渦巻かれて消えて行った膨大な数の行方不明者たちは父の催眠術にかけられて地球から自主退散していったのだとも言われている)。