「実にいい眺めだ」
担任の土屋が自身に言い聞かせるように口を開いた。
クラスメイトは皆、疲れきった表情で天を仰いでいる。
その姿には、空一面のねずみ色が憎いほど似合っていた。
僕は水筒から溢れる最後の一滴まで飲み干していた。
登山もいいものだろう、言わんばかりのしたり顔が鼻につく。
空の水筒をヒザにぶつけては苛立ちを押さえつけていた。
そもそも六月に登山をしようというのが間違っている。
雨雲の傘を被った山頂からは景色などまるで見えない。
辛うじて見えるのは町一番の鉄塔の微かな明かりだけだ。
計画の段階でこれくらいの予想がついてもよさそうなものだ。
それに希望調査では「川下でのカレー作り」が一番人気だったはず。
ところがフタを開けてみれば「山登り」に変更されている。
こんなカラクリがあるから教師、大人を信用できなくなるんだ。
「横田、点呼しろ」
振り向いた土屋の視線が僕に向けられる。
くじ引きで決まったクラス委員だが責任は感じている。
いつの間にか優等生を演じ慣れてきた自分を悔しく思う。
1、2、3…途中まで数えただけで既に違和感に気付いた。
秋山だ。秋山がいない。
「秋山がいません。探してきます」
そう土屋に告げて辿ってきたルートを引き返す。
秋山は問題児だ。きっと列を乱してはぐれたに違いない。
全く迷惑な奴だ、重い足取りで転がる枝を蹴り上げた。
ほんの数十メートル歩くと秋山の声が聞こえた。
「嫌だ…嫌だ…」
そう叫ぶ声の主はどこにも見つからない。
僕はひんやりと感じた悪寒を揉み消せずにいた。
ふと細い山道の路肩に目をやる。予感は当たった。
そこには必死に地面をつかむ秋山の指だけが見えていた。
反射的にその場所へ向かい彼の腕を引いた。
崖下に目をやると深い谷底が僕を睨んできた。
「ぐっ……重い」
パンパンに膨れた彼のリュックサックがぐらぐらと揺れる。
思えば行きのバスで自慢するようにお徳用スナック菓子を見せてきた。
考えれば考えるほどにその体は比重を増していくように思えた。
その瞬間、意思とは裏腹に引きちぎれそうな腕が彼を離していた。
秋山は叫ぶわけでもなく、ただ深い白色へと飲まれていった。
ガクガクと震えた僕は、崩れるようにその場に座りこんだ。
秋山が捨てたボロボロの日程表が無造作に開かれている。
ポップ体で書かれた皮肉な一文が目に飛び込んでくる。
「おやつは三百円まで」