「嘆かわしいな、士●。まったくもって相変わらずの屑が。募金の作法が成っておらぬわ!」
『なん……だと!?』
「ふん、まだ自らの浅ましさに気づいておらぬ様子だが……愚鈍! まったくもって愚鈍!」
『●山! おまえ! 言うことにかいて! この俺に向かって作法だと? この程度、俺が解らないはずのないことをあんたは知っているだろうが! あんたが俺に無理矢理教えたんだ、忘れたとは言わせないぞ!』
「黙れ! まずは詫びろ! 理解できぬ輩が口を開くな! 募金が穢れる! このワシが教示してもその体たらくでは、犬に言葉を教える方がマシだったわい! 無駄な時間を過ごした過去を悔いるほかはないな…」
『俺にミスなどないと言っている! そんなことは言いがかりだ!』
「聞こえなかったのか? 赤き羽根が朽ちる前に頭を垂れろと言っている!」
『●山!』
「フン、ならばソレはなんだ! 手にしたソレはなんだと聞いている! 答えろ!」
『これは500円玉だ。大蔵省鋳造の昭和六十四年。277万枚の希少品。
一般的な硬貨ではもっとも高額であり、真心という気持ちを込めるならば、これほど募金に向いた硬貨はないだろう。異存など…』
「ある! まだ気づいておらぬとは。愚鈍を通り越してもはやそれは罪! 日本人として恥を知れ!」
『馬鹿な…恥だと………はっ! まさか……』
「ようやく気づいたか。愚か者めが…」
『俺は、なんてミスを。……昭和五十七年から平成十二年までの白銅貨の500円玉は…』
「そうだ、貴様は致命的な間違いを犯した。白銅貨だ! 白銅貨の硬貨とはそれだけで意味を持つ。募金とは真心、気持ちを形に成すことで生まれる一つの行為。
貴様はそれを汚したのだ! 白銅には欲に塗れるという意味を持つことを忘れるとは阿呆のすることよ! つまり、募金に白銅を用いるとは“その金は欲である“と言ったも同じ! 矛盾した愚かな行為へと成り下がる』
『俺は…』
「貴様に正しい募金を教えてやる。正しい募金とはコレだ。見ろ、この使い古された昭和二十六年鋳造の10円を!」
『平等院鳳凰堂! ギザジュウか!?』
「使い込まれた貨幣には命が宿る。それをもっとも具現したのがこの10円玉だ。同じく銅貨ではあるが白銅ではない。戦後の通過改定で誕生し、今に至るまで現用されている古い硬貨の一つ。
登場した当時の物は物資不足から銅の含有量も少なく、それゆえに劣化も激しいが、縁の丸みが証左となる。それだけに現在を持って市場に使われるということに深い意味を持つのだ。
さて、せっかくの機会でもあるから、そこの愚鈍を雇っておる新聞社の連中にもひとつ叡智を進ぜようか…。ここで同じく現用される古い硬貨としてはもっとも古い昭和二十五年の5円玉銅貨と使おうとする愚か者ものいるが、
募金に御縁は法度。使うべき金に誤嚥まで招きかねないということになるわけだが、貴様らにそれが理解できるかな? ははははっ!」
『…●山……。糞っ!』
「ふふふ、はははは、ふははははははははははっ!」