事件は起きた。
「大統領!我が合衆国の予算に不明瞭な点が見つかったのです」
意気昂揚と声を張り上げて質問したのは、弁護士の職を辞して38歳の若さで初当選を果たしたヴェーター下院議員だ。
「詳しくお聞かせ願おうか」ゆっくりと、そして威厳に満ちた態度で大統領が答えると、
ヴェーター議員はニッコリと微笑み、手元の資料を演壇に向けてかざした。
「二ヶ月前のことです、予算勉強会でペンシルバニア州の国土交通費の補填を検討していたのですが、
去年の冬に申請された予算案と先日発表された国庫支出金明細に食い違いが見つかったのです。
請け負うはずの土建屋、建設会社、不動産の多くが架空の会社ではないのかという疑問が生まれたのです」
「私たちは大いにこの細工に驚き、さっそく秘密裏に地元新聞の協力を仰ぎました。
すると二週間も経たないうちにケリータイムズ紙に匿名の封書が届きましてね、
中身を見てみると・・・あの時は・・・イェールに落ちたとき以来の衝撃でしたよ。
見てください、この写真です」
議員席から大きなどよめきが起こった。大統領は眉一つ動かさずにいるものの、目は伏せている。
一方のヴェーターは、特徴的な南部訛りでまくし立てるように話し続けた。
「この二人・・・間違いなく大統領の奥様と娘さんでいらっしゃいますよね?」
議会のざわめきがより一層大きくなった。
「一体どういうことだ!」 「偽物だ!」 「匿名の投書なんか信用できるか!」
怒号や野次が渦巻く中、大統領が意を決したのか、ようやく口を開いた。
「いかにも、私の家内と娘だ」
ヴェーターは資料の最後のページをめくった。
「同封された文書によれば、これはフィラデルフィアにある州議員宿舎近くで撮影されたそうで、
3階窓から続く長いレールは庭の地下トンネルに潜り、ホワイトハウスから、
アラスカとハワイを除く各州の議員宿舎ボイラー室に通じているそうです」
「馬鹿な!」 「神よ!」 「あの時のババア、職員じゃなかったのかよ!」
大統領は演壇に立ちつくしたままだ。しかし、強張った表情は5分前のそれとはまったく異なるものであり、
額からは大量の汗が流れていた。老舗ジョルジュ・ド・パリで拵えたスーツはしわくちゃになり、目もうつろになっている。
「家内と話す時間も・・・子供と遊ぶ時間も取れない・・・公務以外で会うことなんて殆ど無かった・・・
私が家族に与えてやれることは・・・これしかなかったんだ・・・」
とうとう大統領は両膝をぱったりと付き、涙ながらに内に秘めた思いを吐露し始めた。
「愛を失った家族への償いと施し・・・しかし、立派な職権濫用罪、きわめてタチの悪い国家反逆罪です。
合衆国の頂点たる者がこのような罪を犯すとは前代未聞です。
大統領、私が残念でならないのは、二期も職務を全うして『逞しいアメリカ』を体現してきたあなたが、
こんな単純な家族愛の大切さに気づくことなく、9年間も過ごしてきたことが思い出されるからです。」
こうして、08年度連邦議会第12回は歴史に残る結末を迎え、翌日には世界100カ国のメディアが一斉に例の写真と共に報じた。
世界中の人々の目に映った少女の恐怖に満ちた表情は、汚職に手を染めてしまった父、その屈折した愛情が原因で
やがて家族に訪れるであろう悲劇を予見させているようにも見えたのだ。
(ロイター通信 シュワルツ特派員)