これは芸術であれは芸術にあらず。
何の変哲もない“あるもの”を「芸術」にあるいは「非芸術」にたらしめる要因は何なのか?
芸術は偏差値のような数値で表されるものではないため芸術と非芸術の境界線には決定的な定義が存在していません。
数億もの値段がついているからそれは芸術か、それとも非芸術か。
肛門にクレーン車の先っちょつっこんでブンブン振り回されながら顎ヒゲにつけた墨汁で描いた熱意溢れる若手時代の村上隆のDOBちゃんと
最近AERAの表紙になってて偶然見掛けた「前よりハゲてる、髪減ってるやん」な村上隆が鼻毛でちょいちょいと描いたDOBちゃん。
それはどちらも同じように芸術であり非芸術であるのです。
芸術・非芸術を判断するのは主観しかありません。
もし客観が正解を導き出すというのならその客観の集合体、
○×問題の様にこれは芸術か否かその解答のデータベースみたいなものを想像してください、
その集合体でポイントが高ければ芸術でポイントが低ければ非芸術となりますが
それはあまりにも滑稽で大衆を固定化しすぎていてセンスの感じられない、簡単に言えばおかしなシステムです。
つまり客観というのは幻想にすぎないのだから芸術か否かの判断は主観という頼りないものに頼らなければならず故に絶対的な正解は存在しない。
だからこれが芸術でこれは非芸術だと言い切ることは全ての真理を司る神でもない限り出来ないのです。
そして大金によって、政治によってこれは芸術だ非芸術だと強制出来ないように
金額や政治という付加価値がついているからこれは芸術にあらずと言うこともまた無茶なのです。
プロレス実況でアンドレを人間山脈と例えたり小鉄さんのおちんちんをびっくりマウンテンと例えた古舘さんも
サッカー実況に駆り出されて勝ち点1を実際の得点だと勘違いしたりミサンガをずっと髪留めだと思って谷亮子風に髪をくくっていた古舘さんも
報ステで世間を憂いながらチンコにラケットくくりつけてテーブルの下でスタッフと卓球やったり
気づかれないように解説員の加藤さんの頭に水滴垂らしてハゲ隠してるのをグチャグチャにしようとしたりしている古舘さんも、
みんな等しく芸術であり芸術でないのです。
だから私は『「この人は芸術家だな」 なんでわかった?』というお題に疑問を投げかけたく
問題提起の意味も兼ねて藤波辰巳お題でボケたいと思います。
【お題】
「この人は藤波辰巳だな」 なんでわかった?
【ボケ】
ガッチャマンのコスプレをして、ゼェハァ言いながら全速力でリングまで走ってきたはいいが
「何者だ」とのライガーの問いかけに大鷲のケンみたく答えなきゃならないとこを
ついいつもの生中継ふるさと一番(NHK 平日12時15分より放送)の癖がでてしまって「プロレスラーの藤波辰巳です」と答える藤波辰巳