曹操の活躍が存分な精彩をもって描きだされたとは言いがたい官渡の戦いに比べ、主人公である劉備軍飛躍のもととなった赤壁の戦いは、史実にはない彼らの奮闘を盛り込んで、『演義』最大の見せ場として描かれている。しかし、実際の赤壁の戦いは、それほど華々しいものではなく、多年にわたる荊州争奪戦の一齣にすぎない。また、この時の曹操軍の被害が、さほどに深刻なものではなかったことは、この直後の合肥における戦いぶりが証明している。だが、劉備側から見れば、この勝利によって荊州を得た事が、蜀漢建国に向けての第一歩であった。本来は曹操と周瑜の対決がメインであったはずの赤壁の前哨戦に、諸葛亮が頻繁に顔を出すのは、この戦いが魏や呉よりもむしろ蜀漢にとって重要なものであったからにほかならない。つまり、三国鼎立の形成は、実質的にはここから始まったのであり、この戦いはいわば、後漢から三国時代への重要な里程標なのである。