「わたし、昇天することになったの」と告げると、母も父も怪訝な顔をした。
いや、辞書的な意味じゃなくて、とわたしは続ける。下っ端の事務仕事から、天使に、実地で働く地位に昇格したってこと。
「天使、ねえ。立派なお仕事ですけど。どうにも過酷だって言うじゃない。母さん心配だわ__」
「まあまあ、いいじゃないか。夢があって。男はみんな天使の女の子が好きだし、たいへんな仕事も結婚までの辛抱だ。あれだ、いい男を捕まえてきなさい、可愛い天使ちゃん。うぶな技術官僚なんかどうだね__」
あっはっは、と父は大仰に、しかしいくぶん無感情に笑う。それきり母は何も口を挟まない。ただすこし俯いて、黙々と馬鈴薯を切りつづける。トン トン トン。単調なリズムで。
「とにかく、仕事も忙しくなるから、こうやって実家に帰ってくること、きっと減ると思う」
トン トン トン。
「ああ、きっと今度には好青年を連れてきたまえ、それも、とびきりのだ__」
トン トン トン。外では雪が降りはじめる。
わたしがレズビアンであることは、母も父も知っていた。
それからわたしは新任の天使として、恵まれない子どもが幸福になるよう救済する役職に就いた。
教育係となったのは、キューピッドの先輩だった。けれど、制服はわたしとまったく同じ。手ぶら。背はわたしよりずっと高い。まるでキューピッドには見えない。
キューピッドのドレス・コードは裸ではないんですか、と訊くと、
「他人に肌を見せるのが苦手なもので」
弓と二種の矢の支給は、と訊くと、
「暴力的な道具は、心まで粗暴にしてしまう可能性があります」
役職ごとに年齢規定があるでしょう、と訊くと、
「児童労働の問題に一石を投じているところです」
残らずはぐらかしてしまうものだから、小憎らしい。
ある日、
「これは賭け事です」
そう先輩は言った。
「救済とは聞こえのいい建前です。将来的に愛しあうであろう異性のペアや、一見不幸に見えてもいまに成功するであろう子どもに、投資するのです。介入は推奨されません。違法な相場操縦的行為にあたる可能性が高くなりますから__」
先輩はこう続ける。なんのことはありません。現世で資本主義が暫定的にあらゆるイズムを駆逐したのと全く同様に、天界では資本主義が博愛主義を打ちやぶった__我らがイエス・キリストは、需要と供給のグラフの交わりしところに磔となったのです。
「必要なら、分厚い律法書の介入規則を一からお教えしましょう」
わたしは静かに首を振った。そしてちょっとした反抗心から言う、
「賭け事と言うわりに、先輩は、恋愛をする人の気持ちが解りそうには見えませんね」
「株のトレーダーが株の気持ちを理解しているとおっしゃるのなら、あなた、絵本作家に向いていますよ」
……やはり小憎らしい。
わたしが辞職に至るまでに、そう長くはかからなかった。理由は明快。課長のセクハラがひどく、職場にそう未練もないから、辞める。それだけだった。課長はちかぢか中間審判にかけられる。
最後の出勤の日、支援対象候補者の家の前で、
「わたし、今日で堕天することになりました」
「そうですか」
「指導が無駄になったわけですから、すこしくらい怒っても、いいんですよ」
「いえ、これまでの関わりに基づき、今後あなたに賭けるべきではないというデータが得られましたから、収支はプラスです。ありがとうございました」
そう言って、はじめて先輩は薄くほほえんだ。その折には、わたしが男にもてなかろうという皮肉だと受けとったのだけれど、今にして思えば、あれは先輩なりの私への応援だったのかもしれない。
「__『だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。』__神の御国か、永遠の火の地獄で、また会いましょう」
そう先輩は告げ、雪は小鳥のごとく夜を舞う、まるであらかじめ定められているかのように、路傍の草を純白に装う。
(ねえイエス様、あなたが非経済的な愛をふたたびあなたの見えざる手に取りもどして、果たしてわたしたちを救ってくれるんじゃないかって、わたし、信じていないわけでもないのです。)