松本 人志(まつもと ひとし)
日本のお笑いタレント、漫才師、司会者、映画監督、作家、コメンテーター。お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は浜田雅功。愛称は松っちゃん(まっちゃん)。妻は元タレントの伊原凛。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。
兵庫県尼崎市出身である。小学校、中学校の同級生に浜田雅功と高須光聖がいる。中学時代のあだ名は、まっつん、まつひと、手焼き煎餅である。浜田と共に吉本総合芸能学院の1期生として入学した。入学当初から浜田とコンビを結成した。コンビ名は何度か変わったが、最終的にはダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演することになった。1987年4月に開始した初の看板番組『4時ですよーだ』を皮切りに、翌年には深夜のコント番組『夢で逢えたら』で東京に進出した。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』等では出演の他番組の企画、構成も行う。1993年から1995年にかけて、『週刊朝日』に連載していた自身のエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が『遺書』及び『松本』として単行本化された。それぞれ250万部、200万部を売り上げた。
2001年10月4日より、ラジオ番組『放送室』を高須光聖と共に開始し、2009年3月28日の番組終了まで約7年半に渡り放送された。2007年、企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し映画監督としてデビューをした。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待された。これに伴い、2008年の東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。
2004年から『人志松本のすべらない話』(通称:すべらない話)のホスト及び企画、2009年からは大喜利の祭典『IPPON グランプリ』の大会チェアマンとして出演し(いずれもフジテレビ制作)、あまり知名度の無いお笑い芸人の才能の発掘や若手芸人の育成にあたる役割も担っている。『すべらない話』では、関西での活動を中心としていた小籔千豊や、矢野・兵動の兵動大樹がMVSを受賞し全国区へとブレークするきっかけを作り、『IPPON グランプリ』では、『R-1ぐらんぷり』『爆笑レッドカーペット』等をきっかけにブレイクしたバカリズムの大喜利能力の圧倒的な高さを発掘した。
2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、股関節の手術を受けるため1〜2カ月程度の休養を発表した。その後、8月18日収録の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で仕事復帰。同年10月15日にNHK総合でテレビでは実質的に9年振りとなるコント番組『松本人志のコント MHK』が放送、翌10月16日に同局のドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「松本人志スペシャル」が放送された。
ダサい学校の七不思議(ださいがっこうのななふしぎ)
ダサピアノが爆発する。