2013年秋、日本のまつぼっくり保有量が国民一人あたり30トンを超過。
オバマ大統領、貿易摩擦を懸念。アメリカは対策措置として3.27米ドル/日mb(※1)とすることを日本に通告。日本、これを快く承諾。
(※1)日mb=日本まつぼっくり
同年冬、日本から流れ込んだ大量のmbはホワイトハウス直属経済アナリストの見立てを大きく裏切り、何の活用法も見出されなかった(※2)。
(※2)アメリカ国内の一部の日本料理企業が「庭園の風情が倍になりますわ」とmbを買い取ったが消費量は総mbの0.1%にも満たなかった。
アメリカ国内でmb取引即刻中止の動きが起こるがオバマ大統領はこれを無視。大統領、単独でmbの処理に当たる(※3)。
(※3)黒人はまつぼっくりが大好物。
暴動はホワイトハウスにより鎮圧され、以後40年、日本とアメリカはmb取引を続けることになる(※4)。
(※4)とりわけ大きなmb取引が行われた成田―シアトル間はパイン・ラインと呼ばれた。
2053年春、オバマ元大統領、mbに飽きる(※5)。ホワイトハウス、日本へ向けて無宣言大襲撃を決行。広島・長崎へ大型mb爆弾が投下される(※6)。
(※5)このときオバマ元大統領はちぎったmbの種子翼で抜けた歯を補っていた。
(※6)広島・長崎へ投下されたmb爆弾はそれぞれ『リトル・ボックリ』、『ファットマツ』といい、ともに後述する日本庭園化に多大な影響を及ぼした。
高空で爆発したmb爆弾は遺伝子操作を加えた大量のmb種子をばらまき、わずか三日で高さ2メートルに及ぶ松を発生させた。尖った松の葉は人々の顔や肩に容赦なく突き刺さり薬局では絆創膏の品切れが相次いだ。
2054年春、日本の小学生からオバマ元大統領のもとへ桜の苗木が届く(図1)。オバマ元大統領はこれを食べ「いける」の言葉を残しこの世を去った(※7)。オバマ元大統領の後を追うように戦争は終結。mb取引も終わりを迎えたが日本には今でもmb爆弾の爪跡が残されている(図2)。
現代を生きる私達はこれらの過去を受け入れた上でどのような未来を歩むべきだろうか。
(※7)黒人は桜も大好物。
(図1)オバマ元大統領に送られた桜の苗木。残念ながら撮影前にオバマ元大統領が根から食べ始めてしまったので葉しか残らなかった。現在の世界平和のシンボルが桜の花ではなく葉を散りばめたものになっているのはこれがモデル。
(図2)広島在住の竹田さんはリトル・ボックリの被松者。庭先ですくすく育つ松を見ていることしかできなかった昔を思い出すと今でも涙を止められない。「せっかく洋風の家を建てたのに」と漏らす竹田さんの頬には松の肌のような皺が刻まれていたので取材班は何度も松田さんと呼び間違えた。