朝方から降り続いてる雨は午後になって強さを増し、放課後の喧騒を打ち破った。
体育館の床を微かにキュキュと響かせて、黒い物体がニョロニョロと毎秒ごとに奇形を模している。
新監督のお目見えだ。程なくしてこちらを見据え口を開いたが、その動きは治まらず不気味にしか映らない。
「今日からしばらくな、お前らの監督を務めることになった、鰻だ」
ウナギ(鰻、うなぎ)は、ウナギ目ウナギ科 Anguillidae に属する魚の総称。その内の一種 Anguilla japonica (英名:Japanese eel)を指し、これをウナギ属 Anguilla に属する他の魚と区別してニホンウナギと呼ぶこともある。 ※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「鰻だ・・・」
部員の誰からともなく挙がった第一声までには多少の時間を要したが、第六声ぐらいまでは一言一句、変わらなかった。
「ええか、今この時この瞬間からこの動きを目に焼き付けるんや」
(無茶言え・・・) 既にその質感、動きが人間のそれではない。
「本番までに基礎、反復を徹底してモノにするんやで」
(どう見ても鰻だ・・・) 主将はそれでも出掛かった言葉を飲み込んだ。
三ヶ月後――彼らは県大会決勝の舞台に立っていた。迎えたマッチポイント。 全国への切符はたやすく、実にあっけなく目前に迫っていた。
勝利の瞬間も喜びと交錯していたのは違和感だった。ベンチにもどこにも監督の姿が見えないからだろうか。
「明日なァ、土用の丑の日なんや」
準決勝の直後、監督が部員全員に伝えた言葉が頭の中でリフレインする。
様々な思いが一気に込み上げて来て、もう訳が分からなくなりそうだった。
四年後―――真夏の太陽が細長く続く参道の木陰の上にも降り注ぐ。鬱蒼とした空間に蝉の鳴き声だけが響きひどくうるさい。
やや広い墓地の敷地内で、他から少し離されて小高く作られた丘のような場所に墓がある。
「監督、今年も欠席者ゼロです」
元主将が墓前に報告し手を合わせると皆もそれに続く。黒光りした墓石は陽にあたらない部分だけ苔むしてぬめってるように思えた。あれから毎年、この日だけ集まる男達は、他ならぬあの部員達だった。
例年、同窓会の様相を呈するが、誰も長居をしたがらないのは暗黙の了解になっている。ここに来ると決まって、あの日々の痛みが胸に去来することをそれぞれが知っているからだ。筋肉が引きちぎれるのではないかと思うほどの過酷な日々が誰しもの体に色濃く蘇る。
「さ、退散退散」と、元主将の一声で男達は一斉に墓前に背を向けて歩き出す。細長い参道をすっかり着こなした喪服の集団がニョロニョロと一列になって下って行く。
―――鰻だ!
背後から冗談めかした声が聞こえたような気がしたが、誰ひとりとして振り返る者はいない。
「なあ知ってた?」 「どうした」 「何が?」
「監督、最期は背開きだったらしいって」
「うっそマジで?」 「それモロに関東じゃん」
無意識に体をさすりながら、男達の会話が不意に沸き立つ。
「いや、予感はあったよ」 元主将が淋しげな声で割って入る。
「胡散くせえ関西弁だったからな」 言うより早く、ここでやっと笑顔がこぼれた。
本日の最高気温は34℃。炭火のようにジリジリと、脂が滴るように汗がこぼれ落ちる。
真夏の太陽はてっぺんに差し掛かっていた。